みつりんふぁんくらぶ

観たものについてのメモ。解体的です

BANANA FISH(とprayer X)

私が見てた2018秋アニメ(これは秋だけじゃないけど)のなかで一番早くおわったのかな。ショックがでかすぎて感想を書くことができなかったけど一応これは自分が何を見たかの備忘録なのでちゃんと書かねばならない。
いうてもこの作品ってずっと前からあるし、考察や質の良い感想なんてネットにゴロゴロあるだろうからそういうんじゃなくて、ヌーのこととかも交えてメモしとこうかなと思います。

King Gnuが一期EDを担当してたんだよね。コメントとか見てると常田大希は作品を読了済っぽかったし、作品を通してからもう一回prayer Xを聴いてみると歌詞だけじゃなくて曲そのものからじんわりアッシュの匂いを感じる。

King Gnu - Prayer X - YouTube

MVはバナナフィッシュにうってつけの日とアッシュを混ぜた感じだと思うけど、MVの主人公とアッシュの死に様がおんなじだね。アッシュ、ラオに刺された後病院行けば助かったと思うんだよ、でもそこでそのまま死ぬことを決めたのはアッシュ自身だったんだよね。観てる側からしたら報われなさすぎと思うけどアッシュにとっては救済であったと信じたい。

私がprayer Xの何を一番評価してるかっていうと、メインボーカルが井口理で完結してるところだと思う。常田くんがいたらいたで渋くまとまったんだと思うけどアッシュの線の細い美しさは井口のみでまとめた方がわかりやすく表現できるなあとアニメ見ながら思ってた。曲自体は常田通常運転なんだけどそれもまた良い。

バンドシーンで生活している人以外にもヌーは絶対うけると思うし、そもそものポテンシャルやセンスだけで補えない「好み」っていうジャンルからもprayer Xで新しいファン獲得できたんじゃないかな。発掘してもらえるからタイアップってすごい良いよね。おそらくバナナフィッシュ視聴者って若者だけじゃなかったと思うし。

ヌーの話になっちまった。

とにかくショックが多い作品で、主要人物がバンバン死んでいく。2クールあったけど全くダレずに次から次へと事件が起きていく。
それでも病まずに見れるのは奥村英二のおかげだよねやっぱ。
たしかにアッシュリンクスを軸にして話が展開していくし、アッシュが作品の華で、美しくてかっこいいんだけど作品の中で神に一番近いのは英二だと思う。
アッシュを軸にして物語が進むってことはアッシュが生きてる世界が世界そのもので、殺したり殺されたりっていうのが普通なんだよね。そんな中でほとんど血生臭いことにかかわらずに葛藤しつつもおだやかにアッシュを包み込む英二こそが異端で高尚な存在だった。
人を殺しすぎたアッシュが祈れる神様なんて英二しかいないわけで。英二もアッシュを優しく受け入れて共に生きたいと思っているし、それから英二にとっては血に塗れててもアッシュは信仰的な存在だったんじゃないか。

そこにあるのって神と信者の構図で、しかも一方的な信仰心じゃなくって本来なら(神の存在を立証できないから)絶対ありえないんだけど、神も信者を大事に愛しているってこと。
で、ややこいんだけどアッシュと英二はお互いのこと信仰してるから神⇄人であり人⇄神なんだよね。だから焦がれたり受容したりっていう情緒的な交流が深くできるんだと思う。
アッシュと英二がしばし恋人的な比喩で語られるのってそこにあると思ってて、実際全く違うものなんだけどよく似てるなと思う。恋人と、神と人(お互い思い合う)の関係ね。優先順位だとか、愛情の深さだとか。
でも絶対恋愛ではないと思う私は。ていうか作中でも言ってたけど恋愛を越えた関係というか、そういう性愛とかみたいな名前のつく情的な関係じゃないんだよね。

お互いそんだけ大切な、生きてる人間のなかでどんだけそんな人見つけられる人がいるかってそのレベルの存在をせっかく見つけたのに刹那的な交わりしかできないのが悲しくも作品としてとても美しいのが憎いね〜。アッシュどうか安らかに。余談だけど私はシンが好きだった。

SSSS.GRIDMAN(ぽ)

以下山口くん(特撮オタク)の感想です。


特撮の構成要素っていろいろあるけど、人間ドラマだけじゃなくて、戦いを大きいスケールで取り上げるってのが大きい要素なのよ。それを通して今対峙してる敵が悪なのか、自分の正義感とは何か、戦いに意味はあるのか、とか色々物語でふれて解明したり成長していくもんなの。主人公が途中から強化フォームを得ていったり、仲間の加入があったりするのもそう。結局は自分の正義を目指すために勝利するんだけど、最初から最強の存在で無双しないのにはちゃんと意味がある。仲間もいて、自分と敵の違いをわかったうえで勝利するんです。いいですね。特撮。今日仮面ライダーの映画見てきました。よかったですよ。

前置き長くなったけど、グリッドマンよかったね。アニメならではの華やかさと電子感が見応えあった。最近CG多めの特撮が増えてきたけど、アニメーションで振り切るの好きになった。元々のグリッドマンも、コンピュータがモチーフで近未来感を出してたけどスケールの大きさがアニメちょうどよかったと思う。



ねたばれ


個人的に、グリッドマンの強化の過程がしっかり描かれてくの、特撮ヒーローだなって感じが良かった!!!プロト→強化→全合体→真の姿は流れとして完成してるし(読みやすいってことでもあるけど)、OPで未登場の形態を最初から出してたり後々加わるのがあったり特撮の息が感じれた。あとマックスグリッドマンを二回連続で出すの。あれも特撮ありがちの最初の強化は二回だして販促活動するそれに寄ってたな。うんうん。
ゴッドゼノン、あれはサポートメカのみの全合体だからフルパワーより先に出るのがセオリーなんだけど、スケールの調整とかそういう概念があって初めて通用する手段だから納得できる。おもちゃ欲しい。

うつみ良かったよね。いやりっかも良かったんだけど。特撮では戦う主人公以外にも守りたい人、支えとなってる人とか色々描かれてて、「戦えない自分」と一番向き合ってるうつみも成長とともに戦ってるんだって思うと熱かったな。特に最終話にかけて。グリッドマン同盟も楽しむために作ってたのに、主人公の心の支えとかになったり、意味はあったよちゃんと。

グリッドマンでは怪獣が「世界を修正する手段」として出てたけど、最終話でグリッドマンがアカネの心を救う為に修正の力を使うのは恐れ入った。怪獣を倒すために力を使うんじゃなくて、救いの一手のためにこれまでの戦いがあったの。えもいね。あとアンチ!!!まちゃんが言ってたことがわかりすぎて言うことほぼないけど、キャリバーとの関係性が良かった。グリッドナイトキャリバー、良い。第2のグリッドマン、っていうのはアカネの気持ちに寄り添うための意味も込められてたんかな。

巨大戦というか、街を舞台にして戦うの、実写作品ではビル壊したり鉄塔から火花起こす数が多ければ多いほど予算多くて力こもってる作品って捉えられるけど、アニメでは気にしなくていいね!いいぞもっと壊せ。

怪獣少女がグリッドマン(ゆうた)に「助けられた」って言ってたのは、原作のオマージュなんね。11話までは原作にふれない感じかと思ってたや。怪獣のいる街……深い

こんなもんかな
アクセスフラーッシュ!!

SSSS.GRIDMAN

2018.秋アニメ

山口に勧められてみた。彼は特撮が好きだから楽しめるのは必然だったんだけど私は傾倒するほどそのジャンルが好きではなかったから最後まで楽しめるか不安だったけどしっかりその分野に明るくない人の興味を引く演出や構成で素晴らしかった。

静かな隠と激しい陽のアンバランスさが見事に世界観を埋めていて、1クールということもあり無駄がない。悪く言えば展開が早い。ただ淡々と物語が進行していくからついていけないわけじゃない。1話ごとの危機の矮小化を是と捉えるか否かで視聴の余裕は変わってくると思う。マイナスに捉えるならばそれはそれこそ日曜の1年単位で入れ替わる特撮やアニメの夏頃を見ている感じの退屈さ。予定調和感。唯一私が我慢しようと思ったのはそこ。でもそこだけ。本当に整ったアニメだった。

▽ここからネタバレ





このアニメは結局アカネの心象風景を描いたもので、世界はアカネの箱庭だった。そういう意味ではセカイ系だし、エヴァのオマージュなんだろなあと思うところも多々あるけど(演出だけでなくね)いまやセカイ系なんざアニメの鉄板になり得るし、いい意味でテンプレートをなぞっていることに私は何の不満も疑問もなかった。内容が重要だしね…ていうかこのテーマとグリッドマンを掛け合わせて作り上げたのすごいと思った…原作見てないけど、子供むけ特撮を現代アニメと練り上げてあんなに視聴者を盛り上げるものを作り出したのすごいぜトリガー、だりふらとはなんだったのか。

どうして裕太がグリッドマンになったのかという説明のつけ方が粋すぎてもう奥歯が痛かった。

でもやっぱり私が目をつけるのはアンチなんだけど。
怪獣として失敗作だったからこそヒーローになれたアンチが最後オッドアイになるんだよね。12話の覚醒っていうタイトルはもう何重にも意味があって、でも一番はアカネのための言葉であってほしいんだけど、その意味の中の1人にアンチもいる。重症意識不明からの帰還とか、アカネの世界のキーマンとしての意味ももちろんあるけど、私はアンチの人間としての覚醒っていう意味を大切にしたい。

これはアカネそのものだと思う。

このアニメの世界がアカネの一晩の夢だったのか、長い妄想だったのか、それはわからないけどアカネは最後に目覚めた。
改心して目覚めたとしても内に秘めた攻撃性やフラストレーションはどうしてもすぐには拭えないものだし、ポジティブな感情のみを抱いて生活するのは到底無理だと思う。

アカネの世界で目覚めたアンチは片目だけ青くなっていて、これはヒーローの色だったよね。片目だけってのがいいんだ。すぐにヒーローにはなれないんだ。むしろ一生なれないかもしれない。この不全さが前を向こうとしたアカネの不安定だけど確実に存在する希望のメタファーとなっててすごくいいなあと思いました。

アカネは受容的な愛情(立花)を厳しくも(もちろんお互いのために)排斥したけどアンチはアカネとずっと一緒にいるんだと思う。アカネの等身大の、感情の何割かをアンチが担っていると思っている。しかもそれは立花みたいに一点集中的なものじゃなくてアカネの深いところにある明るいところも暗いところもひっくるめたものなんじゃないか。そういう意味でアンチはアカネから離れなかったし共生していくんじゃないかと考える。

タイトルのSSSSが1人の女の子のためだけにつけられてたのも感慨深かったね。みんなでポテチとかつまみながらわいわい二週目いきたいです。

M-1 2018

準決
見取り図 スーパーマラドーナ かまいたち ギャロップ ゆにばーす トム・ブラウン ミキ(敗者復活) ジャルジャル 和牛 霜降り明星

決勝
ジャルジャル 和牛 霜降り明星

コントより漫才が好きな人間です。
お笑いってその人らの芸がコンテンツの主であるにもかかわらず贔屓にしている芸人になると芸より芸人への思い入れがウェイトを占め始めるのが面白い。
贔屓にしてる芸人だったらお笑いというより人間ドラマを見ているようでそれもまたいい。笑うためのものが感動して泣けるものにも変化するのが面白いね。

今回グッときたのはやっぱりジャルジャルの決勝だった。
一票も入らなかったんだけど、それはもう彼らの芸風の問題だからどうしようもないと思ってる。私は一番笑ったけど。
準決と決勝のネタ入れ替えたらもしかしたら勝てたかも、と思っているんだけど、ラストイヤーの最後の最後にコンビ名を連呼するネタを持ってきたのに感服した。
そりゃ賞レースですし勝つことを一番大事にしなきゃいけないんだけどそれでもジャルらしさを貫き通した2人、めちゃくちゃにかっこいい。あんな大舞台で遊び倒したってやっぱかっこいいわ。

今年ラストイヤーで毎年の有力候補だったコンビが結構抜けるから来年結構楽しみでもある。そろそろコマンダンテ出てきてほしい。

楽園の君

österreich – 楽園の君 (Official Video) / “東京喰種トーキョーグール:re” 最終章ED - YouTube

österreichは高橋國光のソロプロジェクトだ。
基本的に表に出るときは石田スイのメディアミックスを担当している時で、石田スイはthe cabsのファンだった。

cabsはずっと私にとっての救いだった。
ドラムの中村一太のことが好きだったんだけれど、救われそうのない義勝の歌が好きだったし國光の作る音楽が好きだった。

月並みな言葉を使えばcabsは当時の私の心の拠り所だった。
解散したcabsを失った私は國光のことをずっと憎んでいた。國光がcabsを壊したとずっと思っていた。
國光があの時ステージに立っていればcabsはあんな悲しい殺され方をしなかったと思っている。
無能も贅沢な骨も音源を買って聞いていたけれど、それは國光のことを応援していたからじゃなくて國光の音楽を憎むことはできなかったからだ。
cabsが解散しなければösterreichはできなかったかもしれないが、österreichとcabsを天秤にかけたときにどちらが下へ落ちるかは私の中で火を見るより明らかだった。
大事なバンドだったのだ。
「今本人らが充実してるのであればいいではないか」と言う人もいるかもしれないが、義勝がKEYTALKで躍進していても一太がplentyに拾われても國光がösterreichで才能を生かし続けていても結局それはそれ(メンバーの今を貶めているわけではないし応援もしている、plenty解散しちゃったけど)で、cabsは私にとって絶対的な存在なのだ。
まだcabsが活動していたら、というしょうもないもしもの話を考えていたのは私だけではないはずだし、バンドが違うわけだしメンバーの活動がcabsと同じ方向を向いているわけでもないからそもそも「cabsは解散して欲しくなかった」という主訴の反論に本人らの充実を挙げることは論点のすり替えにしかならない。

ということで國光を憎んで早数年が経った今公開された「楽園の君」
タイトルは國光が飛んだラストツアーのタイトル。
メンバーはpeopleのドラム、ハイスイのボーカル、cinemaのボーカルなどで構成されていて、ガチガチの残響メンバー。
歌詞にはcabsの楽曲を彷彿とさせる言葉が散りばめられている。

こんなん見せられたら憎悪を溶かすしかなかった。無能や贅沢な骨を聞いた時に沸かなかった感情が溢れて捨てるほど出てきた。
義勝が歌い上げたワードを飯田瑞規が綺麗になぞり上げていた。
「愛すること 叶わなくとも」を楽園の君とLeland交互に聴いた。どちらも同じ美しさだった。

cabsは最早死んだからこそ美しいバンドになっていることを昔から知っていた。でもようやく腑に落ちた気がする。それほど楽園の君は完璧だった。
特に飯田瑞規が素晴らしかった。ボーカルの一番目立つところに彼がいたからではないと思う。cabsの義勝の汚濁を全て透明にする歌唱力を飯田瑞規はきちんと踏襲していた。
義勝の歌を彼がそのまま引き継いだ、というわけではなく、彼本来がそれができるボーカルだったんだと思う。
cinema、また聞こうかな。

低すぎる自尊心は時に大事な人や自分を愛する人をも惨殺するけれどもそれに救われた人間が数多くいるのも確かだ。
そして私は彼の音楽に再び救われて、やっと数年の亡霊生活から成仏できるんだと思う。

ありがとう國光 ゆっくり休んでください。

楽園の君

楽園の君

  • österreich
  • アニメ
  • ¥250

ハッピーシュガーライフ

2018年夏アニメ。

百合物として扱われてるけどシンプルに恋愛感情として処理するには些か複雑な気もする。

JKが幼女誘拐してきてイチャイチャしながら邪魔者排除していく作品。
善悪、倫理観、道徳観は全部無視しないと終始イラついて終わると思う。スタートが犯罪だし。
この作品での様々な基準は全部「愛」にある。

響く人には響いてる作品らしいけど私はそれほどだった。
つまらなくはないけど見直すことはないし作品について誰かと語る気にもそんなならん。
こなした感。
結構ポエム多いし。最近の若者のすきなもの全て詰めましたって感じ。
可愛らしいけど暴力的、みたいな。

倫理観がバグってるから主人公が窮地に立とうが優位になろうが何も感じなかった。っていうか最終話とか終盤までどういう気持ちで観ればいいのか結構困ってた。

漫画原作で完結してないからオチはアニオリなんだろうけどそこは結構綺麗にまとまってたなって印象。
序盤から1クールでやるならオチは見えてたんだけどどう落とすかってところで模範解答は越えたなー。
あの後のしおちゃんが見たい。

人に勧めはしないけど見たいなら見てもいいんじゃない?くらい。見なよ!とは言わない。
オチは良かった。

ガラスの花と壊す世界

2016/66分

短いし風呂入ってる間に息抜きとして視聴。

劇場で公開してる時に結構予告目にしてて、オリジナルのアニメ映画だったし気になってたけど結局見なかった。

SFがすごい苦手。
専門用語多いし世界観も複雑だし非現実的だしで没入できないから。
っていう私の傾向も相まってつまらんかった。

「知識の箱」っていう空間にプログラムの女の子が2人いて、彼女たちは知識の箱の中にあるたくさんの世界を管理してる。デュアルとドロシー。その世界が汚染された時に彼女らは働いて、その世界を圧縮したのちに削除する。
そういうことしてたら知識の箱の中にいきなり女の子が出現して、その女の子を通してプログラムであるデュアルとドロシーが感情を知っていくんだけども…って感じ。

私も物語そんな理解してないからあらすじ書こうにもどう書いたらいいかわからん。

キーワードが結構散らばってて、どれが本当に言いたかったことなん?って思った。何がテーマだったんだろう。

タイトルはダブルミーニングになってると解釈した。オチと真相の。

舞台設定がまず難解だし進行のスピードも結構早かったりでざっくり何が起きてるかはわかるんだけどその漠然とした理解をしている間に感情移入する余裕がなくなってきてクライマックスとかもふーん…って感じで見てしまった。
登場人物たちが何を思って行動して気持ちが動いてるのかはわかるんだけどそこに観てる側の感情はついていかない。
一時間ちょいだしなあ。
でも90分とか120分とかになったら確実に途中で切ってたしちゃんとやるなら1クールのアニメにまとめた方が見やすかったのでは?という印象。

主要人物が3人しかいなかったからなんとか観続けられてたけどこれ以上増えてたら多分途中で他のことしながら観てた。

なんでAIとかプログラム扱う時って最終的にディストピアとか集合的無意識の話になるんだろう。もっと新しいものが見たい。安パイ飽きた。