みつりんふぁんくらぶ

観たものについてのメモ。解体的です

アマデウス

アマデウス(字幕版)

アマデウス(字幕版)

w.山口

アマデウスサリエリ」という対比はいろんな作品とかでよく引用されてるよね。なんぞやと思っていたわけ。見たいなって。
でも三時間っていう時間は個人的にはキツくて、誰かと見たかったのでシュタゲ好きな山口を召喚。

このアマデウス、調べたら戯曲がさらに下地としてあるみたい。それも見てみたいないずれは。

才能に恵まれた神に愛されし者に焦がれる凡人の話。
わたしは世界史が本当にできないので(頭が悪いから)凡人とはなんぞや?と思ってしまったりとか陛下にそんな簡単に謁見できちゃうのかとか色々思うところはあったけどストーリーは一貫してサリエリモーツァルトに嫉妬し続ける構図。
わたしこれみたことある気がするんだけど。授業で。見てないんかな。わからない。

老人になったサリエリが自殺未遂を起こして精神病棟に入って、神父に懺悔することで展開していくストーリー。こういう構図好き。そんで表題への直接的な言及が皆無なとこも好感度高かった。
サリエリの主語がどんどんでかくなっていって、最終的にモーツァルトサリエリの中で神に置き換えられちゃう。
真面目に生きてきた努力家のサリエリはどうあがいても才能に溢れたモーツァルトは越えられなかった。だから殺そうとする。精神的に追い込んで。
でもそのサリエリの計画は未遂で終わっちゃうんだけどね。その前にモーツァルト死ぬから。

その未遂も良かった。どんだけ頑張ってもモーツァルトサリエリの能力の差は縮まらないし、どうしようもないから殺すって流れだったんだよ。どれほど神に敬虔な信徒であっても神はサリエリモーツァルトを越えるためのチカラは授けてくれなかった。だからだんだんモーツァルトへの嫉妬が神の理不尽さとつながってモーツァルトへの恨みになってしまったんだよね。

でもその神(モーツァルト)が最後に縋ったのはサリエリだった。死ぬ間際にモーツァルトサリエリに代筆を頼んで、少しずつ大きなレクイエムが出来上がっていく。一呼吸置こうと思って眠ろうとする間際のモーツァルトは「あなたに嫌われていると思っていた、赦してくれ」ってサリエルに謝罪する。これ、神=モーツァルトの構図が成立しているのであれば神からの謝罪ってことになる。つまり神とサリエリの和解と、モーツァルトと神の解体への道がその時拓かれて、そこから希望ある未来へ進む兆しが見えたってことなんだけど、一歩踏み出す前にモーツァルト死んでしまったな…。だから誰も救われずに終わってしまった。

才能がなかったサリエリが唯一持っていた能力が、モーツァルトの才能を理解することだった。不評だったオペラの良さがサリエリにはわかった。たぶんここでサリエリまた拗らせるんだけどむしろ神の理解者として寄り添う未来があったのではと思ってしまうな。だからこそのラストシーンだと考えると切ないね。

サリエリの心象、理解できない人の方が少ないと思う。
映画作品としても素晴らしかった。見てください。